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高松高等裁判所 昭和38年(ネ)307号 判決

控訴人(原告)

北村久栄

代理人

深田小太郎

被控訴人(被告)

細川福雄美

代理人

近石勤

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は、控訴人に対し別紙目録記載の家屋を明渡し、昭和三九年八月一六日以降右明渡済に至るまで一ケ月金一三、〇〇〇円の割合による金員を支払え。

控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、第二審を通じてこれを三分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対して別紙目録記載の家屋(以下本件家屋という)を明渡し、かつ、昭和三七年一月一日以降右明渡済にいたるまで一ケ月金一三、〇〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との趣旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否<省略>

理由

別紙目録記載の家屋(以下本件家屋という)につき、控訴人(貸主)と被控訴人(借主)との間に、昭和三五年一二月一日、賃料は一ケ月金一三、〇〇〇円、期間は一ケ年とする賃貸借契約が締結されたことは、当事者間に争いない。

控訴人は、昭和三六年四月頃、被控訴人に対して右賃貸借の更新拒絶の通知をしたと主張するが、この主張に添う<証拠>のみでは右事実を認めるに足らず、他にこれを認めることができる証拠はない。また、昭和三六年七月二九日に、控訴人から被控訴人に対し同様更新拒絶の通知をしたことは、当事者間に争いないところであるが、右は借家法第二条第一項所定の期間内の通知ということはできないから、更新拒絶の効果を発生させる余地がない。従つて、本件家屋賃貸借は、期間の満了と同時に前記法条により更新され、以後、賃貸借期間については定めのないものとなつたと解すべきである。

然るところ、控訴人と被控訴人間の高松簡易裁判所昭和三六年(ユ)第七〇号家屋明渡調停事件につき、昭和三六年一二月二二日の第一回調停期日において、控訴人から被控訴人に対して本件家屋賃貸借解約の申入れをしたことは、当事者間に争いなく、更に、控訴人は、昭和三七年二月一四日、原裁判所に本件家屋明渡請求訴訟を提起し、爾来、当審口頭弁論終結時(昭和三九年八月一八日)に至るまで、右明渡請求訴訟を維持継続し、その明渡請求の原因は、借家法第一条の二所定の正当事由に基くものであることは、口頭弁論の全趣旨により明らかであるから、以下右事由の有無について判断する。

<証拠>によると、被控訴人は、昭和二九年一月頃から本件家屋に程近い高松市中野町一五五番地において訴外細川電機有限会社を設立し、電気製品の卸売業を営んでいたが、程なく、本件家屋敷地の南側に隣接する控訴人の亡夫訴外北村克巳の所有土地約二七坪を賃借し、同所に事務所を建築してこれに右有限会社の事務所を移転し、やがて、昭和三〇年八月六日、右有限会社が克巳から本件家屋を賃料一ケ月金一二、〇〇〇円で賃借し、その後昭和三三年頃、被控訴人は本件家屋を店舗とするために大改造をなし、右会社の主たる営業は本件家屋で行うようになつたこと、右賃貸借契約は、期間を一ケ年とするが、一ケ年毎に更新するならわしであり、克巳が昭和三三年一一月四日死亡した後は、控訴人が賃貸人となつて契約をなし、かくて、冒頭認定の本件家屋賃貸借契約が成立するに至つた事実を認めることができる。

次に、<証拠>によると、控訴人の亡夫克巳は、もと香川県林務課に勤務していたが、病気のために昭和三一年四月頃退職し、そのため控訴人一家の収入の途が断たれ、また、克巳の病気療養の費用もかさみ、控訴人一家の生活が苦しくなつてきたので、その頃、控訴人は、高松市内の有限会社たまや遊技機製作所に雑役婦として勤めるようになつたこと、昭和三三年一一月四日に夫克巳が死亡してから後は、控訴人は、女手一つで当時一六才の長男を頭に四人の子女の養育に当らなければならず、一方その頃には、控訴人方は控訴人一家の居住する一三坪の家屋とその敷地一六坪及び本件家屋とその敷地以外には何ら資産もなかつた(前記の被控訴人に貸していた本件家屋南隣りの土地二七坪も、昭和三一年六月八日被控訴人に売却していた)ため、控訴人は前記たまや遊技機製作所への勤務を継続するほかなく、しかも収入の増加を図るために残業することも多く、夜更けて帰宅することも度重るようになり、このため、控訴人は健康を害するようになり、また、控訴人の三男信次は、控訴人の監護が行き届かないために、昭和三五年頃(小学校四年生の時)から種々の非行が目立つようになつて来たこと、このようなことから、昭和三六年頃に至つて、控訴人は、親族らと相談の末、前記たまや遊技機製作所の勤務をやめたうえ、被控訴人から本件家屋の明渡しを受けて、これに多少の模様替を施し、その階下において飲食店を、二階において素人下宿を営み、もつて子女の監督保護に当るとともに、相当の収入をあげるよりほかには右のような苦境から脱する途はないと思い到るようになり、控訴人の親族も右計画に全面的に賛成してこれを援助することを約束するので、被控訴人に対して本件家屋明渡を申入れるようになつたこと、その後、長男及び次男は、ようやく高松商業高等学校を卒業し、就職するようになつたが、その収入は少なく、またその勤務地はいずれも遠隔の地であつて、控訴人ら一家の生活を助けるまでには至らず、一方控訴人が勤めていた前記たまや遊技機製作所は昭和三八年一二月二五日営業不振のため解散し、そのため控訴人は職を失い、その後種々就職口を物色したが控訴人の年令(大正九年七月二六日)と健康の関係から思わしい職場もなく、かくして控訴人の生活は益々困窮し、本件家屋賃貸料も訴訟中であるため控訴人において受領していない関係から、親族等から借金をしてようやくその日の生活を送つていることが認められる。

一方<証拠>によると、被控訴人は、前記認定のように細川電機有限会社が本件家屋を賃借してからは、賃借当時及び前記昭和三三年頃の二回にわたる改造の他、種々の修理を加え、このため相当多額の出費を要したこと、被控訴人或は右会社は、常時数名の従業員を使用し、本件家屋で前記認定の営業を継続し、本件家屋が高松市の中心地に近いという場所的な利便もあつて、昭和三八年頃には、月間売上額も金一〇〇万円ないし一七〇万円位に達し、その営業は順調であること、被控訴人は自己或はその妻名義の不動産(高松市西浜新町に宅地約三四坪とその地上の家屋、同市橿紙町に宅地約五〇坪とその地上の家屋)を有しており、これらはいずれも家屋を他人に賃貸していること、本件家屋は、右営業の店舗として使用するかたわら、被控訴人ら夫婦の住居にも使用している事実を認めることができる。

以上認定の本件における事実関係に基いて考えるに、控訴人方の家庭の状況、資産及び控訴人の健康状態等からすると、控訴人が本件家屋の明渡しを受けて、飲食店と下宿屋を営みたいとの希望はまことにもつともであり、控訴人における本件家屋の自己使用の必要性は、相当強いものといわなければならない。もつとも、控訴人が飲食店や下宿屋を営んでも、その開業資金も必要であり、更に、果して控訴人が予期しているような収益が得られるかどうかは、将来のことで不確実であるから、この際本件家屋の賃料を増額し(被控訴人も当審において、一ケ月金三五、〇〇〇円程度の増額に合意する用意があると供述する。)、それを基として生活の安定を図る方が、控訴人一家としては、より良策ではないかとも一応は考えられるけれども、右被控訴人の供述する程度の増額によつて必ずしも控訴人方の生活が安定するともいえないし、また、控訴人の前記計画が将来のことで不確実であるからといつて、その故をもつて、控訴人が自ら本件家屋を使用することの必要性が薄弱である事由とすることはできない。のみならず<証拠>によると、控訴人の右計画は、単なる思い付きではなく、近親者らも加わつて充分検討した上で決意したものであり、相当確実性のあるものと認められる。

ひるがえつて、被控訴人側においては、本件家屋における営業も一〇年近く経過し、場所的な利益もあつて順調に営業を続けており、今直ちに移転することは、有形無形に、多大な損失を蒙るであろうことは、容易に予想できるところである。しかしながら、控訴人側には、本件家屋及びその敷地以外に見るべき資産収入もないのに比べて、被控訴人側は他に資産も有し、相当の収入を挙げているのであつて、その営業の場所を本件家屋以外の所に移転することは、必ずしも困難ではないと考えられ、被控訴本人も、当審において、他に適当な場所さえあれば、移転しても差支えないと供述しているのであり、勿論、移転するとなると、それにともない多大の出費を要し、そのため被控訴人(或はその経営する会社)の営業に支障を及ぼすこともあり得ようけれども、そのような点やその他の被控訴人側の事情を考慮しても、本件家屋を使用して飲食店や下宿屋を営むより他には、生活を安定させる方法がないというまでに立到つている控訴人側の切迫した事情と比較するときには、本件家屋使用の必要性は、被控訴人の方がより低いものと認めざるを得ない。なお、被控訴人が本件家屋を明渡すときには、本件家屋の改築修繕のために被控訴人が投じた多額の費用が無駄になり、被控訴人が損失を蒙る結果にはなるけれども、右家屋改築修繕の主要部分をしめる昭和三三年頃に行つた大改造については、被控訴人において賃貸人たる控訴人の亡夫克巳或は控訴人から明確に改築の承諾を得て行つたものであるかどうかは頗る疑問である(控訴人側から右改築について明確に異議を申出たと認めるに足る証拠もないが、当審における控訴本人及び被控訴本人の各供述によると、昭和三三年当時においては、克巳は病気のため意識も明瞭でなく、言語にも障害がある状態であつたのに、被控訴人は右克巳に改築のことを話しに行つたに止まり、控訴人には何ら告げることなく改築工事を行つたと認められる。)のみならず、仮にそのような損失があるならば、賃借物件に対する必要費或は有益費の償還請求権の行使により、その損失を補填すべきであり、本件正当事由の判断に関して、右改築修繕費用の損失を考慮することは相当でない。

以上説明したところにより明らかであるとおり、遅くとも、控訴人がたまや遊技機製作所を解雇された昭和三八年一二月末頃には、控訴人の本件家屋賃貸借解約申入れの正当事由は完備するに至つたものといわなければならず、その後である昭和三九年二月一五日の当審における第一回口頭弁論期日において、控訴代理人は、本件について弁論をなし、被控訴人に対し本件家屋の明渡しを求める意思を表示していることは、記録に徴し明らかであるから、右口頭弁論期日から六ケ月後の昭和三九年八月一五日の経過により、本件家屋の賃貸借契約は、解約の効力を生じ終了したものと解すべきである。

従つて、控訴人主張の本件家屋についての無断転貸或は無断賃借権譲渡の点(これらの主張は、前記認定の正当事由に基く解約申入れによる賃貸借の終了という請求原因と選択的または予備的に主張したものと解せられる。)について判断するまでもなく、本訴請求中正当事由に基く解約申入れにより本件家屋賃貸借契約が終了したことを原因として、被控訴人に対して本件家屋の明渡しを求め、かつ、賃貸借契約終了の翌日である昭和三九年八月一六日以降明渡済に至るまで約定賃料相当額である一ケ月金一三、〇〇〇円の割合による明渡遅延損害金の支払いを求める部分は、理由があるものといわなければならない。

よつて、民事訴訟法第三八六条に従い、右と結論を異にする原判決を変更し、控訴人の本件家屋明渡請求及び遅延損害金中右認定の限度の請求を認容し、その余の遅延損害金請求部分を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、同法第九六条、第八九条、第九〇条、第九二条を適用し、なお、本件については、仮執行の宣言は、これを附さないのが相当であると認め、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官浮田茂男 裁判官水上東作 石井玄)

(別紙)目録<省略>

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